1963年に「スパイダース」加入(約3ヶ月間在籍)、その後1966年まで「寺内たけしとブルージーンズ」に参加し、この年の7月に「ザ・ワイルドワンズ」を結成。
12弦ギターは、ワンズサウンドの要となる。
解散後は、作曲家、沢田研二プロデューサーとして活躍。
現在、銀座のライブハウス(ケネディハウス)のオーナー、「加山雄三&ハイパーランチャーズ」のプロデューサー。
60年代ミュージックシーンのバイブルともいえる自伝「ビートルズのおかげです」を著すなど多方面で活躍中。
立教大にてアマチュアバンド「カントリーフレッシュメン」在籍中、「ザ・ワイルドワンズ」に参加。
デビュー曲「想い出の渚」で作詞家としての第一歩を記す。
解散後は、テレビドラマ、ラジオのパーソナリティー、NHK教育テレビ「歌のお兄さん」タレントとして活動。
又、1983年から現在に至るまで毎年、全国の養護学校を訪問する「ふれあいコンサート」を開催。2007年、訪問校は100校に達した。
一方、2003年にはヴィレッジ・シンガーズの小松久とデュオ「とりづか+こまつ」を結成。
全国各地でライブ活動を展開している。
高校2年生の時に、銀座の楽器屋でアメリカンスクール在学中の3人に誘われ結成したエレキバンド「ザ・ディメンション」が、フジテレビ「勝ち抜きエレキ合戦」で2週間勝ち抜き、一躍アマ・バンド界で名を馳せた後、ザ・ワイルドワンズ結成に参加。
当時、画期的な‘歌うドラマー'として人気を博す。
1971年の解散後は「ZOO」「サーフ・ライダース」「ボイス」などを経て、現在「植田芳暁とレイアウト」「加山雄三&ハイパーランチャーズ」などでも活躍中!
その他、作詞・作曲、コーラスアレンジ、CM作曲、司会など幅広く活動している。
1960年代に日本中を感染させた"ベンチャーズ熱"にすっかり侵され、アマチュアバンドとして湘南地方では、 かなり名の知れた存在。1966年に「ザ・ワイルドワンズ」に参加 。
ギターに関しては人一倍情熱があり「加山雄三&ハイパーランチャーズ」「島 英二&ココナッツクラブ」等ではギターリストとして活躍中!
「TUBU」「徳武弘文」のアルバムでテケテケ・ギターリストとして参加。
又、オールドモズライトギターの収集家でもある。
最近は趣味の模型制作がらみで、TV番組製作がきっかけになり、人の乗れる「蒸気船」作りにはまり、加瀬邦彦命名「ピノキオ」、加山雄三命名「英光丸」の2隻で湘南の海で余す時間無く 毎日を楽しんでる。